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貧乏社員にちょっぴり贅沢を!癒し系かな?営業所を追跡!


by labor43
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「わが青春の宝塚映画」を自費出版

 日本映画黄金期の1950~60年代、小津安二郎や成瀬巳喜男ら名匠の作品を続々と世に出した映画会社「宝塚映画製作所」。その元スタッフらが、共に過ごした俳優や監督らの肉声を集め、製作所の全容を振り返る「わが青春の宝塚映画」を自費出版した。映画の熱が満ちていた街の息づかいを今に伝える労作だ。(黒川裕生)

 同社は51年、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の全額出資で現在の宝塚市武庫川町に設立された。84年に倒産するまでの約30年間に劇場用映画を176本製作したほか、テレビ映画やCMも多数手掛けた。

 「誰や、こんなゴッツイ、セット組んだんは、会社つぶす気か」

 51年に入社した美術の近藤司さん(79)=同市=は、阪急電鉄からレールを借りて造った大がかりなセットに、森繁久弥がうれしそうに驚いてみせた逸話を披露。「宝塚映画は今も業界で特別視されている。役者はみんな『思い切り面白いことをやった』と懐かしむよ」と話す。

 61年に「小早川家の秋」を撮った小津監督は近藤さんの仕事ぶりを気に入り、別れ際に「また宝塚で撮るから、その時まで近ちゃんおってや」と言い残したという。だが監督は63年に亡くなり、かなわなかった。

 同書には40人以上の元スタッフや俳優、監督が登場。インタビューや座談会など当事者の主観的な言葉を軸に社史をつづっているのが特徴だ。後半では倒産前後の総務部長や経理担当者らが、社の財政事情を事細かに証言している。

 巻末には同社が手掛けた作品のデータを83ページにわたって掲載。編集委員を務めた監督の高野昭二さん(80)=同市=は「膨大な数を作った。あっという間に消えたけど」と笑う。同じく演出の板坂靖彦さん(73)=同市=は「映画の全てを学んだ場所なので僕らは『宝塚映画学校』と呼んでいた。尻のポケットにカチンコを突っ込んで走り回った。青春そのものです」と目を細める。

 5月1日から約2カ月間、東京の映画館「ラピュタ阿佐ケ谷」で、同社製作の映画の特集が組まれる。元スタッフらは「製作所の存在が忘れられつつあるが、出版と上映を機に再評価の機運が高まれば」と期待する。

 292ページ、1200円。問い合わせは宝塚シネ・ピピアTEL0797・87・3565
by labor43 | 2011-03-08 22:46